大判例

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大阪高等裁判所 昭和58年(ネ)351号 判決

控訴人・附帯被控訴人(以下「控訴人」という。)

阪神電気鉄道株式会社

右代表者

田中隆造

右訴訟代理人

小長谷国男

石井通洋

山田忠史

今井徹

被控訴人・附帯控訴人(以下「被控訴人」という。)

吉本萬寿夫

吉本伯枝

右両名訴訟代理人

板東宏和

前川宗夫

森正博

三木孝彦

西村捷三

中西康政

主文

1  本件控訴及び本件附帯控訴をいずれも棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とし、附帯控訴費用は被控訴人らの各負担とする。

事実

一  当事者双方の求めた裁判

(控訴事件)

1  控訴人

(一) 原判決中控訴人敗訴部分を取消す。

(二) 被控訴人らの請求を棄却する。

(三) 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

2  被控訴人ら

(一) 本件控訴を棄却する。

(二) 控訴費用は控訴人の負担とする。

(附帯控訴事件)

1  被控訴人ら

(一) 原判決を次のとおり変更する。

(二) 控訴人は、被控訴人らに対し、各金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和四九年七月二六日から支払済みまで年六分の割合による金員を各支払え(一部減縮)。

(三) 訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。

(四) 仮執行の宣言

2  控訴人

(一) 本件附帯控訴を棄却する。

(二) 附帯控訴費用は被控訴人らの負担とする。

二  当事者双方の主張及び証拠関係

次のとおり付加(訴えの変更を含む。)するほかは、原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する(ただし、原判決三枚目表六行目「三両」を「二輛」と改め、同二二枚目裏四行目「担当者」の次に「竹本浩也」を加え、同裏一〇行目「二〇日」を「二五日」と改め、同二三枚目裏七行目「一、二は同」の次に「東」を加え、同行「上下ホーム」を「上りホーム」と、同二四枚目表三行目「撮影した青木駅東方の」を「青木駅東方からこれを撮影した」と各改める。)。

(主張)

1  控訴人

(一) 本件事故の原因について

(1) 本件事故の原因を列車の通過に伴う風圧(いわゆる列車風)と推認する科学的合理的根拠はない。にもかかわらず、これが裁判上肯定されるときは、旅客の安全確保という観点からもその影響するところが極めて大であり、単に控訴会社のみならず高速旅客運送を目的とするすべての企業体にとつて重大な事態というべきである。

控訴人は、本件事故の原因として接触説を主張するものであるが、その根拠を要約すると、次のとおりである。

① 電車前部左側の立樋に凹損があつた。この凹損は本件事故前には認められておらず、本件事故直後に発見されている。凹損の位置は運転士大内田及び車掌佐野の両名が目撃した。本件事故寸前の亡理究の姿勢でその頭部の位置に符合する。

② 車掌佐野は、本件事故の瞬間に接触を感知している。運転士大内田が過去の人身事故例のような衝撃を感じなかつたと述べていることは、後述のとおり、接触説を否定する根拠となるものではない。

③ 列車風についての実験によれば、本件電車の通過によつて生ずる風圧には、亡理究を持ち上げる力はない。

(2) 以上の控訴人の主張をふえんすると次のとおりである。

① 立樋の凹損について

イ 亡理究の位置が本件事故の前後で殆んど変らないというのは妥当でない。すなわち、事故直前の位置は運転士と車掌とが目撃しているだけであり、その位置は右両名の記憶によつて再現されているにすぎない。一体、高速で接近しつつある電車から、殆んど瞬間的ともいえる程度のごく僅かな時間に目撃したにすぎない亡理究の事故直前の位置を、事故発生後に記憶にもとづいて再現した場合、どれだけの正確性を期待することが可能であろうか。目撃時の目撃者の関心は、一にかかつて接触事故を起さずにすむかどうかという点にあつたわけであるから、電車に接触するかしないかという位置関係(電車の進行方向に対して左右の位置関係)の記憶はほぼ正確であると考えてよいであろうが、プラットホームのどの辺りであつたか(電車の進行方向に対して前後の位置関係)という点になると、記憶がそれほど正確であつたとも思われない。また、亡理究が倒れていた位置も、事故直後に亡理究を抱き上げた山添里美や、その他亡理究が倒れていた場所を現認していた者が指示した位置ではないから、これまたどの程度正確であるか疑問なしとしない。したがつて、本件事故前後における亡理究の位置が客観的に正しいという前提に立つて、事故の前後で位置関係が変つていないと断定し、しかもそれを凹損と接触との関連性を否定する根拠の一つとすることは、独断にすぎるといわざるをえない。

ロ 控訴人が、本件事故につき、とくに接触という表現をしているのは、いわゆる正面衝突のように力が作用したものではなく、凹損を生じた立樋の位置からすれば、立樋の平面状の部分が亡理究の右前頭部を強い力で擦過した――野球のファウル・チップの状態を想像すればよい――と考えるのが、同人の姿勢と位置関係から見てもつとも事実に合致するとの判断によつている。力の作用方向如何では、本件電車との「接触」によつて「相当の距離を飛ばされ」ることが必至ではない。また、接触部位が頭部であるから、相当な力が作用しても、頸部がこれを受け止める役割を果し、頸部の受ける力は大きいが、身体全体が撥ね飛ばされないことは十分にあり得るのである。

ハ 電車の立樋はそれほど「丸みを帯びたもの」ではない。幼児の前頭部との接触を考える場合には、「平面」とみなして良い程度の曲面である。

ニ 副損傷の有無は、「接触説」に固有の問題ではない。「風圧説」にとつても同様に躓きの石である。つまり、頸椎骨折を生ずるほどの衝撃がプラットホームによつて加えられたとすれば、他の部位に傷害が生ぜざるをえない筋合である。

ホ 本件において、頭部切創の程度の傷ではすまないと判断する根拠はない。また、頭蓋骨々折、脳挫傷、頸椎骨折ですまないというのであれば、あるいは電車の力をまともに受けて、頭部が粉砕されるような状況であろうが、本件事故は、衝突ではなく接触であつて、亡理究の姿勢と位置関係からいえば、野球のファウル・チップのような状態で力が働いたと考えられるのであるから、外傷であれ頭蓋損傷の態様であれ、本件程度にとどまることは十分あり得るのである。結局のところ、傷害の程度と態様は、瞬間的に働く力の方向と大きさによつて左右されるというほかはない。亡理究が本件事故当時、頭に包帯を巻いていたことをも勘案すれば、頭部切創等の傷ですまないといい切ることはできない。

へ 本件立樋の凹損の個所は、おおよそ石が当ることなど考えられない場所である。凹損は進行方向に向つて左側の電車最先端の立樋に生じているのであるから、自らが撥ねた石が当るということはあり得ないし、進行方向を逆に考えて見ても同様である。また対向電車が撥ねた石であると仮定して見ても、本件事故当時の進行方向では対向電車から見て外側になるので、石が当ることは不可能である。進行方向が逆の場合には対向電車側になるが、凹損の部位は最後尾になるので、どのような石の撥ね方をすれば当ることになるのか、想像することもできない。まして、石のような物体が当れば塗料が剥落する筈であるし、凹み方の態様も本件立樋の凹損の状態とは全く異る筈であるから、石が当る等によつて生じたものと考える余地は全くないといつてよいのである。

このように、本件事故に関する唯一の物的証拠というべき凹損の成立過程について、合理的に疑いをさしはさみえない程度にまで別の可能性が説明できない以上は、これを接触の痕跡と考えるのが至当である。

② 大内田証言について

イ 大内田は、過去に自分が経験した大人の人身事故の際のような衝撃はなかつたと述べている。これは決して接触を完全に否定している供述ではない。大内田としては、直感的には「当つた」と感じたが、大人が接触した時のような衝撃はなかつたといつているにすぎないのである。大内田は非常制動をかけ、警笛を乱吹しつつあつたのであるから――警笛吹鳴のペダルは運転士の足下にあり、これを反復してキックすることによつて乱吹する――車体の震動や自らの動作によつて、若干の衝撃であれば感知しえないことがあつたとしても不思議ではない。また、運転士の心理とすれば、事故の回避を強く願いながら、その一瞬には殆んど目をつむるに近い状態であつたわけであるから――幼小児の事故が運転士に与える心理的苦痛はきわめて大きい――僅かな接触感であればなかつたと思い込んでしまうことも十分にありえよう。

ロ 大内田の方が佐野よりも亡理究に近い位置にいたということは、接触の有無を感知することとは無関係である。むしろ、佐野の方が冷静に事態を観察、判断できる立場にあつた。その余裕があつたと考えられるから――佐野は本件事故当日は車掌として勤務していたが、元来は運転士であるから、その状況判断は運転士としての経験によつている――佐野の供述の方により客観性があり、信頼できると考えるべきである。

ハ 接触の衝撃の程度は、前述のとおり、接触の態様によつて異つて来る。電車の進行方向に働く力を真正面から受け止めた場合と、電車の左先端立樋部分が掠める状態で接触した場合とで、衝撃の大きさが異ることは常識的に理解できるであろう。本件の場合、亡理究の頭部に対しては平面とみなしてよい立樋の部分が、ある角度をもつて擦過状に接触しているのであるから、接触の衝撃が左程大きなものでなかつたとしても、敢て異とするに足りないものである。まして幼児の頸部は首振り人形のように軟かく、頭部を掠める状態で力が働いた場合には、衝撃は殆んど頸部に吸収されてしまうと考えられるから、運転士が衝撃を感知しないことは十分にあり得ることである。亡理究が頭部に包帯を巻いていたことも、衝撃を和らげる方向に作用したと推認できるであろう。

③ 風圧の強さについて

イ 兎跳びをして飛び上つたところで風圧を受けたと推認し得る根拠は全くない。兎跳びをして着地したところで風圧を受けたものではないと考える根拠もない。

ロ 仮に、飛び上つたところで風圧を受けたとしても、静止中の三歳児を持ち上げることができない風圧が、飛び上つた場合には持ち上げることができるとする根拠は全くない。飛び上つた瞬間に浮力のようなものが働いていると想像するのは、物理学的には荒唐無稽である。三歳児の重さは、静止していようと飛び上つていようと全く変らないことは自明の理であるし、幼児の兎跳び程度では、飛び上る距離も知れたものであるから――一〇センチメートルか、たかだか二〇センチメートル程度であろう――風圧の揚力を強める力は、実際問題としては全く働かない。

ハ 「風圧によつて足をとられ、数十センチメートルの高さから落下した」とするのは、前段と後段との関係が不明確である。「風圧によつて足をとられ」という意味が、兎跳びで飛び上つたその位置で水平方向の風圧を受けて転倒したということであるなら、揚力を考えているわけではないから、物理学的に明白な誤解はないことになる。しかし、その場合、「数十センチメートルの高さから」落下するということには絶対にならない。三歳の幼児が兎跳びで飛び上れる高さは、せいぜい一〇ないし二〇センチメートル程度であろう。仮にそれが三〇センチメートルであるとしても同じである。その程度の高さから落下して――落下というよりも転倒というべきであろうが――本件のような傷害を受けることは不可能である。

ニ 実験結果によれば、風圧が最大となるのは電車の先頭が目的物体の正面を通過する直前から直後にかけてであり、本件の場合、力の方向は電車の進行方向から時計と逆廻りで後方に変化してゆく。したがつて、もしこの風圧の影響を受けて幼児が転倒したとすれば、左側ないし後方に転倒すると考えるのが普通であろう。そしてこの場合、亡理究のような、右前頭部に打撃の中心を想定しうる頭蓋骨損傷が起り得る筈がない。

ホ もし前傾姿勢のまま頭からプラットホームに突込んだような形であつたとするならば――この場合にも受傷の態様を説明し難いが、その点は暫らく措くとしても――列車風の風圧の方向とは逆の方向への転倒ということになり、列車風を原因と考えることは全く不可能である。

へ 新聞では「幼児が宙に浮き上つたのちうつ伏せになつてホームに落ちた」との記事があるが、「風圧によつて転倒した」旨の目撃者の言は証拠上どこにも認められず、接触の場合でも同様な現象が起りえないわけではない。また、もし右の新聞記事に信を措くのであれば「うつ伏せになつてホームに落ちた」という部分をどう理解するのか。「うつ伏せ」では亡理究の受傷の態様と合致しないことは明白である。また、住所氏名も明らかでない目撃者なるものの存在自体も甚だ疑問である。このことは、亡理究を最初に抱き上げたのが、プラットホームに上る階段にいた山添里美であつたことから容易に推認し得る。もしプラットホーム上に目撃者がいたとすれば、その者が最初に亡理究の傍に駆けつけていた筈である。

④ 本件事故は科学的にみて電車と亡理究との接触により生じたとみるべきであるが、次の実験及び解析(乙第三五、第三六号証)がこれを裏づけている。

イ まず、立樋の凹損がどの程度の物体の衝撃によつて生じたものかという点につき、実験の結果から、直径21.9センチメートル、重さ3.1キログラムの球体を、1.7メートルの高さから自然落下させた場合に、本件電車の立樋の凹損と同程度の凹損(直径五センチメートル、深さ五ミリメートル)の生ずることが明らかである。もつとも、右の結果は、本件事故の態様と直ちに同一視できるものではないが、これによつて、本件電車の立樋の凹損が、線路上の石が当つた程度では生じえず、幼児の頭大の物体との接触によつてはじめて生じ得るものであることを窺うことができる。次に、右凹損が生じた際の衝撃力の働く方向を知るため、右凹損を生ぜしめ得る衝撃力を計算によつて求め、本件電車と亡理究との接触に近似した条件を設定して衝撃力の働く方向を解析したところ、右の計算条件のもとでは、電車の進行方向に対して七九度の方向に衝撃力が働いていることが明らかとなつた。つまり、時速約九〇キロメートルの電車の立樋が亡理究の頭部と接触した際に働いた衝撃力の方向は、電車の進行方向と七九度の角度を有しており、その衝撃力が毎秒一八キログラム・m程度であれば本件の場合と同程度の立樋の凹損が生じ得るということであり、このことは、亡理究が本件電車との接触によつて相当の距離を飛ばされなかつたとしても不思議ではないことをも示しており、以上から、かすつた状態で接触が生じたとする控訴人の主張の合理性が裏づけられたこととなる。

ロ 他方、兎跳びで跳び上つた瞬間に対する風圧の影響は、実験によつて測定することは不可能であるので、停止時の実験結果から計算によつて知るほかないが、本件電車の通過時のプラットホーム上の風圧は実験的に測定されており、電車の先頭がプラットホーム上の縁端から五〇センチメートルの位置にある幼児等身大の人形の手前五メートルの地点から風圧力が現われ始め、水平方向では先頭通過の瞬間には人形の後方向に2.2キログラム重の風圧力が働くこと、揚力は電車の先頭が人形を0.5メートル通過した時点で最大となり、人形の後方やや右寄りに五〇度上向きに約3.4キログラム重の揚力が働くことが明らかとなつている(乙第一二号証)。そして、右の実測値に誤差を考慮して三〇パーセント加算した数値を基礎とし、兎跳び動作を四五度の前傾姿勢、上昇初速度毎秒一メートルで上方に約二〇センチメートル、水平初速度毎秒一メートルで前方に約四〇センチメートル跳ぶものとして解析すると、列車風のない場合には、跳び上つてから0.2秒後に最高高さ二〇センチメートルに達し、0.41秒後に四一センチメートル前進して着地することになるが、跳び上つた瞬間から列車風が働く場合には、跳び上つてから0.25移後に最高高さ二八センチメートルに達し、0.49秒後に三二センチメートル前進して着地する。すなわち、幼児の身体は列車風の揚力の影響を受けると同時に、風圧の影響で前進を阻まれるという結果がえられた。風圧によつて幼児の身体の傾きにどの程度の影響があるかという点については、四五度の前傾姿勢で兎跳びをするとすれば、傾きに対する影響が大きくなるような仮定条件、すなわち、重心の位置を軸として身体が回転するものとし、四五度の前傾姿勢からの回転が容易に起るように、身体の下半身に風圧が働くという極端な条件を仮定した場合で、風圧の影響は前傾姿勢を四五度から三三度に深め、列車風がなくなつてからもさらに回転を続けて、着地時にちゅうど腹這いの状態になることとが明らかになつた。しかし、実際には風圧は身体全体に分布するものであるから、回転力として働く力は微々たるものでしかなく、幼児の身体の前傾角度を変化させる力は殆んどないといつてよい。したがつて、本件電車の風圧には、亡理究を持ち上げ空中で回転させて右前頭部からプラットホームに落下させるような力はとうていないことが明らかである。

(二) 危険接近の予告方法について

列車接近を告げる気笛吹鳴が、危険接近の予告並びに避難喚起の予報措置として極めて不十分なものとみるのは妥当でない。

(1) 地方鉄道における気笛吹鳴

① 地方鉄道では、長年に亘つて気笛吹鳴が、旅客や一般の踏切通行人車などに対する注意喚起の手段としてとられ、全ての会社では危険の警告には依然気笛吹鳴を行うべきことを運転者の作業規定(地方鉄道運転規則二一四条、二一五条)としている。

② 本件事故の起きた昭和四九年頃、無笛吹鳴をもつて列車からの通過駅接近の合図としたり、その他の危険の警告の合図としていたのは京阪神地域のみの特色ではなく、我国の首都圏である在京の私鉄も同様であり、全国的にみて気笛吹鳴は列車接近の合図として、あるいはその他の注意喚起手段として用いられていたもので、万国共通のシンボルとして的確な合図を旅客に送るものである。

(2) 気笛吹鳴の意味について

青木駅に本件事故当時マイク放送、自動放送あるいは肉声による接近予告等の措置がとられなかつたとし、これらの予告方法と気笛吹鳴を比較して、単なる警笛と具体的な列車接近予告及び注意喚起の呼びかけとでは、乗降客の注意喚起の効果に明らかに差があるとすることはできない。つまり、伝達の意味内容に較差があつて、警笛のみではそれを列車接近の合図とは直ちに判断できないとし、ここから乗降客への危険予告の方法としては極めて不十分なものであるというのは、音声、音響等についての科学的、心理学的検討を経たものでなく妥当でない。

イ 合図としての気笛吹鳴

ある事柄を知らせようとして作られたサイン(合図)は、言葉のこともあり、色、形状、動作のように目に対する刺戟等によるものがあることは広く知られた事実である。講学上、知らせようという意図をもつてつくり出されたサインはシンボルと呼ばれるが、特に交通の合図については、色、形状、あるいは音のような視聴覚に訴えるサインが抽象化され、シンボルとして使用される例が多い。例えば、停止信号に「トマレ」という言葉でなく、赤信号が用いられるが如きものである。シンボルはある事柄を知らせようとして作つたサインであるから「意味」をもつている。右の例でいえば、停止信号である赤色信号は「トマレ」という言葉によるサインと同じ意味をもつており、両者の意味内容は全く同じである。

「気笛」吹鳴は、短気笛であろうと長気笛であろうと接近してくる列車自体から発せられるものであるから、列車接近の告知のシンボルとして、そのもつ意味内容は接近放送と全く変るところはない。したがつて、「言葉」と「気笛」には列車接近の告知という意味では全く較差はない。

また、警笛の長短、回数の意味の理解と無笛吹鳴が列車そのものの接近を意味すると理解することとは別のことであつて、気笛の長短、回数の意味が理解しえなくても、気笛吹鳴そのものが列車接近を意味することは容易に理解し得ることである。実際、ある方向からの気笛を聞けば、まずその方向から「電車が来るな」と感じるのが普通で、それを接近とは別の意味のサインと受取る人が果して何人いるのであろうか。

気笛吹鳴は、列車接近を告げる手段として長年に亘つて行われてきたから、識別性にすぐれ、その意味は通常人に容易に理解し得るものとなつている。全国的にみれば、地方鉄道では、なお列車接近の告知として用いられている例が多い。控訴会社で気笛吹鳴を接近放送に順次切り換えていつた理由は、控訴会社の路線が阪神間の人口稠密な地帯にあり、沿線の地方公共団体が公害防止条例を制定し、これに基づく騒音の規制が厳しくなり、電車の気笛さえもが自粛を要請される気運となつてきたためであり、接近放送が気笛吹鳴に勝るという理由からでは決してない。

ロ 注意喚起手段としての気笛吹鳴

我々の行動は、ある刺戟を受けて反応し、行動へと移る構造をもつ(刺戟→反応→行動)。反応を効果的にするためには、そのときに不要なものの知覚や思考を抑圧し、一つの物だけをはつきり意識させるような刺戟が必要である。つまり注意喚起にとつて必要なのは、ある人の他の知覚や思考を抑えてでも、あることに注意を集中させる程度の刺戟が必要である。

危険告知には右のような刺戟がとくに必要となる。このような刺戟に音響がしばしば使用されて、しかも効果的であることを我々はたえず体験している。音響によつて緊急事や危険を知らせる例としては、火災、津波等を知らせる半鐘、緊急自動車のサイレン、自動車のクラクション等がある。列車接近を知らせる気笛吹鳴は警笛の語義どおり注意をうながし鳴らす笛と認識することができ、したがつて、警笛は、危険予告の「意味」をもつだけでなく、危険予告についての強い反応をつながす刺戟として普遍性をもつ効果的なものであるといえる。

一般に、注意には、ある形などを見定めようとするときなどの意志的注意と、大きな音に自然に耳を傾けるような自発的(自動的)注意があるとされている。プラットホーム上の旅客にとつて、通過列車の接近は不意におとずれる危険ではなく、予知し得るものである。亡千代治のようにしばしば高速度交通機関を利用していた都市生活者であれば、このことは常識であり、通過列車の接近は十分予知し得るものである。したがつて、プラットホーム上では、亡千代治のような立場の旅客には列車接近を心構えする意志的注意が常に働いているから、マイク放送などで列車接近を告げる「言葉」によつても、ただちに注意を昂進し得ると考えられるのであるが、また高い音響によつて自発的(自動的)注意を喚起し、列車接近ただ一点に注意を向けさせることも、的確な注意喚起手段であるといえるのである。

さらに、当該進入列車が通過電車であるのか、あるいは駅に停車するものであるかの判断は、注意喚起に当つて特別な意味を生じるものでなく、列車接近における危険についての注意という観点からみれば全く同じである。

(3) 以上述べたとおり、気笛吹鳴は、

① 危険接近の告知としてマイク放送等と同一の意味をもつ合図であり、

② 注意喚起の手段として効果的な反応をつながす刺戟である。

本件事故に際して、青木駅に接近した列車が規則で定められた気笛吹鳴を行つて、青木駅の旅客に接近を告げたことは明らかである。その音量、音質は警笛として適切であり、危険回避行動をとる時間も十分な余裕をもつて吹鳴しているのであるから、控訴会社は危険告知に関しては、旅客の安全を確保することに欠けたるところはなかつたものというべきである。

2  被控訴人ら

(一) 本件事故の原因について

(1) 被控訴人らは、控訴人のいう「接触説」に対し、次のとおり「風圧説」を妥当であると考える。すなわち、

① 立樋の凹損は本件事故により生じたものではない。

② 車掌佐野の証言は信用できない。

③ 仮に、列車風には静止している三歳児を持ち上げる力はないとしても、兎跳びによる跳び上る力の作用に列車風の風圧が加わることにより、亡理究が前頭部から落下したと推認することは何ら不合理ではない。

(2) これをふえんすると、以下のとおりである。

① 立樋の凹損について

立樋の凹損が事故電車と亡理究との接触により生じたとする直接間接の証拠は全くない。かえつて、これが、本件事故により生じたのでなく、右事故後に人為的に作られたものと仮定すれば、控訴人の主張するところはいずれもその根拠を失う。その疑いを払拭できないのは、本件立樋の凹損の程度、態様と亡理究の傷害の程度、態様とが相応しないことによる。

イ 本件立樋は厚さ1.6ミリメートルの鋼板を丸めたものであるが、これに直径約五センチメートル、深さ五ミリメートルの凹損がある。一方、亡理究の傷害は前頭部右側を中心に右側頭部付近から左側の頭蓋底に至る長さ約一五センチメートル幅約七ミリメートル及び前頭部から頭蓋底にかけて長さ約五センチメートル幅約三ミリメートルの離開骨折、前側頭部に数条の線条骨折、右離開骨折の中心付近の頭部表面に約二センチメートルの切創、その他頸椎棘突起骨折、内出血腫脹というものである。本件立樋と亡理究の頭部が「接触」したのであれば、この両者に同一の力が作用するのであるから、両者の損傷の程度、態様は相応していなければならない。

そこで、亡理究の傷害、態様として副損傷のないこと、陥没骨折を生じていないことを併せ考えると、「丸みを帯びたもの」との「衝突」を原因とすることはできない。

ロ そこで、控訴人は、本件立樋凹損の存在と亡理究の傷害を結びつけるため、「衝突」ではなく「接触」であるというのであるが、本件立樋の凹損は、その材質が鋼板製であり、極めて堅いものであるにもかかわらず、直径約五センチメートル、深さ約五ミリメートルにも及び、しかも、本件立樋は丸みを帯びたその頂点付近が凹んでいるのであり、以上本件立樋の凹損の位置と程度を勘案すると、幼児の前頭部との接触を考える場合には、これを平面とみなしてよいということはできない。

ハ 本件立樋の凹損を見るかぎり、亡理究の前頭部に、まさにこのような「丸みを帯びた」立樋が「衝突」したとしか考えられないのであり、本件立樋の凹損と亡理究の傷害の程度、態様とが相応しないのである。

この点に関し、控訴人は「電車の樋は人間の腕や脚が当つた程度でも凹むものであるとするが、そのいう事故の被害者はいずれも成人であり、事故の態様としては「接触」ではなく「衝突」とみるべきものである。しかも、これらの事故については、いずれも衝突の音が感知された旨の報告がある。

ニ もしまた接触事故であるならば、その頭部外傷の程度は、線条骨折程度ではすまず、陥没骨折あるいは頭蓋が粉砕され、相当程度はねとばされて副損傷を生じ、また、頸部は前屈してでなく後屈して骨折する筈であるが、亡理究には、いずれも右のような損傷はみられないばかりか、かえつてそれに矛盾する損傷がみられる。

したがつて、控訴会社の事故報告は、控訴人が「衝突」と厳格に区別するところの「接触」によつて本件立樋が凹んだことについての証拠とならない。

② 車掌佐野の証言について

控訴人は運転士大内田、車掌佐野の各証言について、後者の供述の方により客観性があり、信頼できるとするのは不当である。

すなわち、本件事故直後、「事故の回避を強く願つた」運転士大内田と、そのそばにいた車掌佐野にとつては、亡理究が電車に「当つた」のか「当らなかつた」のかが最大の関心事であつた筈であり、その点について二人の間で何らかの会話があつたとみるのが自然である。そして、もし、真実、車掌佐野が接触を感知したのであれば、当然大内田に対し、その旨を告げている筈である。そうだとすると、本件事故当時、警察においても、本件事故が、風圧が原因なのかどうかが問題となつたのであるから、大内田としては、自ら接触を感知しなかつたとしても、佐野が感知した旨を供述する筈であるのに、大内田はこのように供述していない。のみならず、佐野の証言はその目撃位置からみて信憑性がなく、事故直後の警察の捜査についても佐野は協力していないが、大内田は右捜査に対し、衝撃音を感知しなかつたとしており、衝突、衝撃に対し否定的である。

以上から、佐野の証言を採用できないことは明らかである。

③ 風圧の強さについて

控訴人は、亡理究が兎跳びをして飛び上つたところで風圧によつて足をとられ、数十センチメートルの高さから、右前頭部からプラットホームに落下したと推認することができないとし、静止中の三歳児を持ち上げることのできない風圧が、飛び上がつた場合には持ち上げることができるとする根拠はなく、飛び上がつた瞬間に浮力のようなものが働くと想像するのは物理学的に荒唐無稽であるとするが、逆に、そのように主張する物理学的根拠はない。なるほど、亡理究が空中で静止していたと仮定すれば、地上で静止している場合と比較して、その重さに変りがあるわけではない。しかしながら、亡理究が跳び上がることにより、上方に向けての作用していることは明白であつて、この力に列車風の風圧が瞬間的に加わることにより、「足をとられ」る形で前頭部から落下したと推認することは、幼児の身体の重心が成人と比較して上にあることを併せ考えると、何ら不合理とはいえない。

④ 控訴人の実験結果について

控訴人がいう実験結果(乙第三五号証)の内容は、本件事故の事案に即して全く適用できないものであつて、控訴人の主張を何ら証明するものではない。

右実験に用いた数値はすべて本件事故の内容に即して設定された正確なものではなく、仮定的なものであつて。極言すれば結論を導き出すために用いたというべき数値である。すなわち、ⅰ、本件実験において、右実験球を用いてえられら数値は本件事故解明にあたつて何ら科学的価値のないものである。すなわち、亡理究の頭部がこの実験球と同一の直径、重量、そして弾力性であつたという前提が欠けているのであり、したがつて右実験球により顕出された凹損は本件凹損とはその顕出形態も異なり、衝撃力も異なる。ⅱ、本件凹損の内容、程度はその証拠が正確に確保されているものではなく、不確かな情報と推測によつて再現されたものであり、したがつて実験により生じた凹損との一致性は本件事故の発生に即し確保されているとはいえない。ⅲ、したがつて、その衝撃力の計算の結果もまた本件事故に即した正確なものでない。ⅳ、亡理究の体重が一二キログラムであつたという証拠もないうえ、衝突時の列車速度は九〇キロメートル毎時ではなく八〇キロメートル毎時であつたと推認されており、ⅴ、結局はその接触角度は何ら信頼すべき数値ではない。

これを要するに、右実験の結果が示すものは、実験球と同一の直径、重量、弾力性をもつた、重さ一二キログラムの物件が、九〇キロメートル毎時の速度で、立樋に、七九度の角度で衝突したときに、実験によつて顕出された凹損を生じるといつたことを示す価値しかない。

実験において重要なのは、用いられるべき数値の正確さであり、これを本件事故についていえば、生身の人間たる亡理究の体重、身長、姿勢、そして頭部の形状、弾力性といつた要素であり、これを全く考慮しないで行つた実験の結果は不正確であるというより、むしろ危険であるというべきである。

(3) このほか、衝突、接触を否定する次のような事情がある。

① 事故遭遇地点

ところで、亡理究が本件事故に遭遇した地点であるが、その転倒地点(ホーム線路端から約0.7メートルの地点)とほぼ同一地点である。

すなわち、大内田が亡理究をはじめて発見した地点は、「ホームの端よりは約二メートルは内側に入つた」位置であり、その後亡理究は「ホームの線路寄りに兎跳びのような格好で飛び出した」のであるが、その歩数は三、四歩である。そこで、問題は亡理究の歩幅であるが、経験則上は三歳の幼児の兎跳びの距離は約四〇センチメートルであろう。とすれば、三歩で約1.2メートル、四歩で約1.6メートル、最初の発見地点から線路寄りに進行したことになり、その地点は線路端より約0.4メートルから0.8メートルの地点であつたと推定されるのである。

以上の事実からみて、亡理究が本件事故にあつたのは、白線付近であり、事故車と接触することなどありえないのである。

② 接触等と解する矛盾

さらに、亡理究と事故車が本件凹損部分で接触、衝突したという事実は、凹損の位置および亡理究の頭部の衝突地点の位置に鑑みれば、起りえないのである。

イ 本件事故車の凹損の中心部は事故車の前部であり、かつ、ホーム側から線路側に寄つた部分にある。これに対し、亡理究の骨折中心部は、前頭部であり、かつ、頭頂部である。したがつて、本件事故車が亡理究と接触したと仮定するならば、亡理究は事故車に対向し、かつ、頭部を突き出した姿勢でなければならない。

けだし、亡理究が事故車に平行した姿勢で、その頭頂部の一点で接触したならば、凹損の中心部は立樋の最もホーム寄りの部分でなければならないし、逆に本件凹損の中心部で接触したとするならば、骨折中心部は頭部の右側でなければならないからである。

ロ しかも接触箇所が本件凹損の中心部であれば、これは接触というよりはむしろ衝突であり、亡理究はかなり後方にはね飛ばされたであろうし、しかもその態様は頭部を後向きに伸展させて、あお向けに後頭部から後背部を下面にしたものであることは容易に推測される。しかしながら、事実は、亡理究はうつ向きに倒れたのであり、その位置は白線の内側、ホーム線路端より約七〇センチメートルの地点なのである。

右の事実は、控訴人が主張するような接触が起りえないことを明白に物語るものである。

(二) 附帯控訴の理由

(1) 損害額について

① 亡理究の逸失利益について、賃金センサスによる一八歳ないし一九歳の男子労働者の平均賃金を基礎としてこれを固定し、かつ、生活費控除を満十六歳まで一率に五十パーセントとして算定するのは不当である。

年齢を経るに従い、収入が上昇すること、また、健康な男子であれば満三〇歳ころには結婚し、一家の中心的な存在になることは経験則上明らかである。

したがつて、収入の基礎については、被控訴人らが、原審において主張したとおり弁論終結時における最新の賃金センサスの各年齢ごとの平均賃金をもって算定基準とすべきであり、生活費控除については、満三〇歳以降は三〇パーセントに限られるべきである。

② 亡理究の慰藉料を金三五〇万円、被控訴人らの固有の慰藉料を金三五〇万円(各自金一七五万円)、合計金七〇〇万円とするのは相当でない。

本件事故は一般の交通事故とは事案に異にし、被控訴人らが原審において主張した事情のほか、控訴人が今なお責任を全面否認し、一片の誠意すら見せない事情を考慮すれば、亡理究については金一、〇〇〇万円、被控訴人らについては金一、〇〇〇万円(各自金五〇〇万円)の慰藉料は相当というべきである。

(2) 過失相殺について

いわゆる被害者側の過失があつたとしても、弁護士費用を除く損害額の四分の三について過失相殺を認めるのは不当である。

仮に亡千代治に監護義務違背があり、したがつて被害者側の過失として、若干の過失相殺を甘受するにしても、四分の三もの過失相殺は、他の鉄道事故に関する諸判例と比較しても、被害者側に酷に過ぎる。

既に主張したとおり、幼児は応々にして保護者の手を離れることがあるが、保護者に列車の接近を確実に知らせることにより、保護者は幼児を危険から守ることができるのである。プラットホームは列車が通過していないときは、転落の危険はしばらくおくとして、それ自体危険な場所ではない。したがつて、亡千代治が亡理究がホーム上で遊ぶのを放置し、これから目を離していたとしても、それをもつて直ちに過失ありとはいえない筈である。要は、危険回避のための十分な時間的余裕をもつて列車の接近を知らせておれば、本件事故は未然に防げた筈であり四分の三もの過失相殺は不当である。

(3) 被控訴人らの請求額

被控訴人らは、原審において各金二、七〇七万五、〇〇〇円及びこれらに対する遅延損害金の支払いを求めていたが、過失相殺のあることを勘案し、附帯控訴の趣旨掲記のとおり、内金として各金一、〇〇〇万円とこれに対する遅延損害金の支払いを求める。

(証拠関係)〈省略〉

理由

一当裁判所も、被控訴人らの本訴請求は、原審が認容した限度で正当としてこれを認容し、その余を失当として棄却すべきであると判断するものであるが、その理由は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決理由説示のとおりであるから、これを引用する。

1  〈中略〉同二六枚目表八行目〈編注、本誌四六〇号一五七頁二段二八行目〉「細長い」の次に「コンクリート製の」を、同表九行目から一〇行目にかけ「なつている」の次に「(三番線を列車が通過する場合、プラットホームの北端と車輛の側端との間には約七センチメートルの空隙部分がある。)」を各加え、同二六枚目裏一一行目〈編注、同一五七頁三段一六行目〉「右駅舎があるため」を「右駅舎の東側の窓は当時三番続ホーム側を含めすべてすりガラスであつたほか」と改め、同二七枚目表八行目から同一一行目〈編注、同一五七頁四段一行目〉「西九条駅を出発し」までを「(二) 事故電車は、西九条発三宮行二輛連結の特急電車(車輛番号は、前車が三五六八番、後車が三五六七番、自重各約三〇トン)であるが、右三五六八番車輛は、控訴会社の他の電車と同様進行方向に向つて左側に運転席があり、その前方及び左方に各窓が設けられているが、運転席の右側には計器等があつて、電車右前部とは仕切られており、また、車輛の左右前側の角部分には、上下の立樋(厚さ約1.6ミリメートルの鋼板で中空半月状に取付けたもの)があり、運転席の外側で、右立樋から右七〇センチメートル左後方に、運転士乗降用の握り手が左右に二本取付けられ、電車の側面から外側に約三センチメートル突き出て、これから後方の乗客の乗降口に続いていること。

(三) 訴外大内田常晃は、昭和四九年七月二六日午後三時四七分、右車輛を運転して西九条駅を出発し」と改め、同二七枚目裏一一行目「六月三日生」の次に「、頭が三歳児の平均よりやや大きい。」を加え、同二八枚目表九行目「(なお、」から同表一一行目「証言している。」までを削除し、、同二八枚目裏六行目「(三)」を「(四)」、同二九枚目表二行目「(四)」を「(五)、同三〇枚目表三行目「(五)」を「(六)」と各改め、同二八枚目裏八行目「右後方」の次に「(運転席の北側)」を、同一二行目「事故電車の」の次に「佐野車掌の前方窓部分からの」を、同二九枚目表一二行目「ピストル」の次に「(水鉄砲、以下同じ)」を、同行「取り出して」の次に「一人で」を各加え、同二九枚目裏三行目「接近した」から同六行目「推認される」までを、「接近したところで本件事故に遭遇した」と改め、同三〇枚目表一行目「風圧により」から同二行目「出ていること」までを、「「幼児が宙に浮き上つたのちうつ伏せになつてホームに落ちた」、「電車通過とともに飛ばされコンクリートホームにたたきつけられるようにして転倒した」旨の新聞記事が出ており(甲第一九、第二〇号証)、また、参考人の言として、「風圧で転倒したもようである」との報告がある(同一〇号証)こと」と改め、同三〇枚目裏一行目「他には」の次に「副次的」を加え、同行「捐傷」を「損傷」と改め、同裏二行目「地点付近)の」の次に「プラットホーム下の」を加える。

2  同三〇枚目裏五行目〈編注、同一五八頁三段一五行目〉「以上の各事実」から同三四枚目裏末行までを次のとおり改める。

以上の事実が認められ、〈反証排斥略〉、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

よつて、進んで、本件事故の原因について検討するに、亡理究は、当時三歳の男子ぺあり、本件青木駅プラットホームでおもちやのピストルを持つて一人で遊び、兎跳びをするような恰好で、ホームのベンチ付近から三番ホーム白線の方向に向つて動き、事故電車が三番線を時速約八〇キロメートルで通過する直前右ホーム端近くまで接近していたが、右電車通過後右接近した個所とほぼ同一であるプラットホーム白線直近内側に倒れていたことは、前示のとおりであり、〈証拠〉によれば、本件事故電車通過の際、本件プラットホーム北端付近に列車風が発生したが、列車風の性質は、一般的には、被控訴人らが請求原因1の(二)で主張するとおり、列車の通過に伴い、湧出流、境界層流、伴流の順に発生し、その風向は、平面的には列車頭部通過直前から直後にかけて列車から引き離すように、ついで、列車に吸い込むように、かつ、列車の進行方向と反対の方向に風が向うものであるが、立面的には極めて複雑で一定せず、列車下部に生じた列車風が列車とホームの間から吹き上げる等のため強弱に富んだ風となるが、その風速は列車速度に比例し、頭部が箱型の電車では、列車側面から五〇センチメートルの地点で列車速度の五〇パーセント程度であるが、このほか、列車側面については、連結部、窓等の構造により凹凸の激しい部分があり、このため大きな乱れの生ずることがあり、基準面上五〇センチメートルの高さ付近の列車風が最も強く、また、列車が物体を通過する直後、すなわち列車の前部から五〇センチメートルの地点付近でその揚力が最も大であるとされていることが認められ、他方、亡理究の受傷の部位、程度は、右前頭部の頭頂部付近であり、骨折の状況が離開、線条骨折であつて、その死因が頭蓋骨複雑骨折に基づく脳挫傷とされていることは前示のとおりであり、〈証拠〉によれば、子供の場合には骨の結合が十分でなく弾力に富んでいるので陥没骨折を生じやすく、また、棒ないし樋に幼児の頭が当つた場合にも陥没骨折を生ずるものであるところ、亡理究の右骨折は、頭頂部から放射線状にのびる線条骨折等であるから、これが狭い平面との衝突で生じたものとみることができ、また、亡理究にみられる第二、第三頸椎の圧迫による骨折も、横に外力が働き接線の方向に力が加わつている場合このような折れ方はせず、むしろ、上体が浮いて前屈のまま逆さまになつて落下した場合でないとかかる骨折が生じないとされていることが認められ(乙第三号証の一、二の衝撃と頸椎損傷に関する記載は一般的であつて、本件に適切でない。)、これらの状況によれば、亡理究がプラットホーム上で兎跳びをして上体が浮上つた際、接近した事故電車の通過直後の列車風による強い風圧を受け、プラットホーム上数十センチメートルの位置から、足をすくわれたような形で右頭頂部からほぼまつすぐその場に落下し、ホームのコンクリート平面との衝突により、前示骨折及び脳挫傷を生じ、これにより亡理究は程なく死亡するに至つたものと推認するのが相当である。

もつとも、控訴人は、亡理究は、兎跳びの状況からホーム端から線路に頭を出し、右頭部を事故電車と衝突させたか、右車輛に頭部がファウル・チップのような状態で接触したため本件事故が発生したもので、事故電車の左前部立樋部分の凹損は、右衝撃により生じたものであると反論するので検討するに、

(1)  〈証拠〉を総合すると、本件事故後事故電車(三五六八号車輛)の左前部角の立樋のレール路面から1.5メートル、プラットホーム面から四〇センチメートルで、ほぼ立樋の中央の位置に、直径約五センチメートル、深さ約五ミリメートルの凹損(本件凹損)が発見され、控訴会社では少くとも二日に一回は各車輛の外観検査をしているが、本件事故前には、右事故電車の立樋部分に異常が確認されていないことが認められる。

しかしながら、前認定のとおり、亡理究の転倒位置は、事故直前の同人の位置と殆んど変らないところ、事故電車は、事故時点において時速八〇キロメートルであつたから(運転士大内田のブレーキ操作を考慮せざるをえないが、当事者間に争いのない時速九五キロメートルであれば、以下の状況は更に強く裏づけられる。)、仮に、亡理究の前頭部が事故電車の左前部の立樋と衝突ないし接触していた場合には、〈証拠〉によれば、事故電車左前部立樋の半月部分は、右電車の前、側面と各四五度の角度をなすように設置されていることが認められ、また、前示のとおりその部分の凹損は直径五センチメートルで立樋のほぼ中央に位置することから、右立樋と亡理究の頭部とは車輛の進行方向成分として約3.5センチメートル幅での衝突又は接触となり、しかも、亡理究の頭部の実質、その受傷が離開、線条骨折であつた陥没骨折でない状況からして、その頭部における衝撃の吸収を認めることも困難であるから、右の衝突又は接触により、亡理究は相当の距離を飛ばされ、直ちに体の側面から転倒している筈であり、これがあつた場合の副次的損傷も考えられるところであるが、右のとおりに亡理究の頭蓋粉砕が骨面で離開、線条であるが陥没骨折でなく、右以外に何ら副損傷を生じていないところであり、更に、前示のように原審証人林勝彦が、右理究の傷は、狭い平面に当つてできたもので、事故電車の左角(このことは、右電車の立樋についても同様であろう。)のような丸みを帯びた物件に衝突して生じたものでなく、また、その骨折の状況も右のように想定された衝突の状況と一致するものでないとしている点を考慮すると、右立樋の凹損は、亡理究の頭部と事故配車との衝突又は接触によつて生じたと認めるには困難があり、これを認めるに足る直接の証拠がない以上、右凹損は、なお、検査の間の何らかの他の事情により生じたものとせざるをえないから、事故電車の左前部立樋部分に本件凹損が存在することによつても、事故原因を前示のように認める妨げとすることはできない。

なお、控訴人は、人体と電車が衝突した場合、電車の樋等に凹損を生ずるものであり、本件においても、本件凹損が亡理究との衝突ないし接触により生じていると反論するところ、〈証拠〉によれば、控訴会社における人体と車輛との衝突事故により、電車の前部立樋心等に直径約一〇センチメートル深さ約二センチメートル程度の凹損の生じた事例があるけれども、これらはいずれも成人の衝突事故にかかるものであり、また、その事故に遭遇した車輛の運転士において「ドン」、又は、「コツン」という音が確認記録されているところ、本件では運転士大内田においてこの衝撃を経験していないところであるから、亡理究が幼児である点を考慮してもなお、以上のような事故による車輛の凹損例が報告されていることをもつて、直ちに本件においてもこれと同様車輛と人体とが衝突又は接触する状況にあつたと認める資料とすることはできない。

(2)  原審証人佐野秀昭は、「一秒そこそこの僅かな時間、青木駅の下りホーム白線から軌道寄りに子供が蹲つて下を向いて、頭を線路寄りの方へ突き出しているような状態を見た、当ると思いやつたと声を出した、そしてボコンという音がして当つた。」旨供述しているが、同証人大内田常晃は、「本件プラットホームの東方で、亡理究が右ホームの内側二メートルの個所から兎跳びを始めたのを認めたので、危険を感じ非常制動の措置をとつたが、亡理究が三、四歩線路の方へ飛び出した時点で、運転席から死角に入つた、これまで成人との接触事故を起したときにはドンという衝撃があつたが、本件事故の場合には何の衝撃も感じなかつた、車掌佐野がやつたというので、その状況からやつたと思つた。」旨供述しているが、まず、右両名とも、事故電車の前部の構造、両名の位置関係から、死角に入り事故の状況をみていないところで、しかも、車掌佐野は、運転士大内田の右後方で、車輛前面の窓から亡理究をみたことは前示のとおりであるから、その位置、角度により亡理究の死角に入る時間が大内田より早いことも考えられ、また、亡理究が事故電車左前部立樋に当つているとすると、大内田の方がそれに近い所に位置しているのであるから、その衝撃の認識は同人の方がむしろ確実というべきであり、更に、これが衝突(接触)とすると、これに最も関心を有するのは運転士大内田であるから、もし、佐野の認識、その大内田への伝達が事実とすると、大内田は、本件事故直後の経験の新鮮な段階でこの旨の供述をすることが予定されて然るべきところ、右事故に接着する当日の捜査に対し、「亡理究がその運転する電車に触れたかどうか手ごたえはなくわかりません。」とだけ供述していること(甲第九号証、なお、同第一〇号証)から考えると、右佐野のボコンと音がして当つたとの供述部分は直ちに信用できないというべきであり、ついで、右佐野が前方に幼児を認めたのは、ほんの一秒の間というのであつて、同人が大内田の右後方であつたという位置であれば、亡理究には前示のようにホーム側端方向への兎跳びによる動きがあつたのであるから、佐野の瞬時の目撃で幼児の頭部が線路上に突き出ていたことまで認識できたとみるのは困難であり、右佐野が事故電車の警笛吹鳴ないし制動を機に、ホームから線路上に出た亡理究の頭部を認めたとする証言部分も、正確な供述とみることはできないから、右部分もまたこれを直ちに措信することはできない。

なお、控訴人は、亡理究が頭に包帯をしていたので、これにより電車との接触の衝撃が緩和され、運転士が衝撃を感知しないとしても当然である旨述べるけれども、仮に、亡理究の前頭部の切創が以前に作られたものとしても、このため亡理究に包帯があつたかは明らかでなく、原審証人渋谷進の証言中には包帯をしていた筈だとの伝聞供述があるけれども、原審証人大内田常晃らの供述にもこれが表れていないし、原審における被控訴人吉本萬寿夫本人の供述に照らしても、右包帯の事実を認めるに足りない。

(3)  進んで、列車風について考えるに、列車風の一般的な性質、風向、強さについては前(1)でみたとおりであり、〈証拠〉を総合すると、中川憲治阪大教授らの条件設定により控訴会社広井恂一らの補助により実施された実験では、本件プラットホーム上で、子供のマネキン人形(高さ一メートル、受風断面積0.19平方メートル、頭は七ポンドのボーリング合成樹脂球、ほぼ三歳児に似せたもの)を使用し、二輛編成の列車を時速約九二ないし九四キロメートルで通過させ列車風を測定したところ、ホーム北端から三〇センチメートルの地点に人形を直立させたときの人形が受ける最大風圧は、列車側方に向けて約2.9キログラム、最大揚力は1.0キログラムであり、同様に約五〇センチメートルの位置に約四五度の前傾姿勢で人形を置いたときの同様最大風圧は、列車側方に向けて約2.2キログラム、最大揚力は約2.6キログラムであり、その合力としての列車側上方へ向け人形が受ける揚力は約3.4キログラムであつた(最大の瞬間、すなわち列車先端が0.5メートル通過したときに、空間での合力として約3.4キログラムの力が後方五〇度上向きに働き、このときの上向きの合力が約2.6キログラムである。なお、右測定結果に三〇パーセントの誤差を見込んでも、右揚力は最大限約4.4キログラムであつた。)こと、そして、前示のとおり、事故電車の本件事故地点における速度が時速八〇キロメートル、一般に列車風の最大風速は列車側面から五〇センチメートルの地点でその速度の約五〇パぽセントであるから、右により事故電車の右地点における秒速を22.22メートルと置くと、これによる最大列車風速は11.11メートル(電車の時速が九五キロメートルの場合は、秒速26.38メートルの五〇パーセントの13.19メートル)であり、前掲甲第二一号証のシュミットの人体風洞実験によると、これによつて蹲居姿勢で受ける風圧(F)は約2.8キログラム(同、4.0キログラム)程度であることが認められ、右程度の風圧では静止している三歳児を持ち上げることが必ずしも可能であるとはいえないものと考えられる。しかしながら、右はいずれも静止中の人体模型による実験結果であり、ボーリング合成樹脂球と亡理究の頭部の実質とを同視できないだけでなく、人体が運動とくに兎跳びをしている状況であつた場合の揚力等への影響について配慮されていないなど、本件事故における亡理究及びその行動を正確に再現記録するものでないことに照らすと、右実験結果もまた、前認定の妨げとするに足りないというべきである。

(4)  なお控訴人は、右実験結果の解析から、事故電車の左前部立樋に生じた前記凹損(直径約五センチメートル、深さ五ミリメートル)につき、時速九〇キロメートルの電車の立樋が亡理究と接触した場合の衝撃力の方向は、電車の進行方向と七九度の場合であるとし、このことから、亡理究は右の立樋と接触してその右前頭部等に骨折受傷したものであり、その衝撃により飛ばされなかつたとしても不自然ではないとし、〈証拠〉によれば、事故電車の立樋と同等の樋(1.6ミリメートル厚みの鉄板断面が半月状に組立てられたもの)を用い、直径21.9センチメートル、重さ3.1キログラムの合成樹脂製球体を1.7メートルの高さから自然落下させた場合に生ずる凹損が、本件凹損と同程度のものであつたとし、空気抵抗を無視すると、その衝撃力は一八キログラム、質量(m)パーセコンド(S)であるとし、幼児が前傾姿勢で列車の先端に接触したと仮定してその場合の衝撃力を、m一二、S二五として計算すると角度(θ)が七九度であり、これは、衝撃力の方向が接線に対して七九度の方向にあることを意味し、幼児と電車の立樋との接触は「かすつた」状態であつたと結論されていることが認められるけれども、右解析の前提とされた条件の設定、これによる実験結果が本件について必ずしも適切でないとみるべきことは前(3)で説示のとおりであるうえ、合成桃脂球体の自然落下による立樋の凹損も、人体の頭部と同材質の物体による角度をもつた衝撃によるものでないから、その結論とする接線方向七九度の角度も、右解析の前提とされた条件のもとでかかる結果がえられるというにとどまり、これをもつて、亡理究が事故電車立樋と接触して本件凹損を生じたものと推認することはできないし、実験結果による回転を否定する結論も、右実験の条件等のほか、前示のように列車風が複雑で、地上五〇センチメートルで最大であることを考慮すると、直ちに採用できないというべきである。

3  原判決三九枚目裏四行目「転倒」を「転倒し、受傷、あるいは」と、同四一枚目表五行目「前記」を「前示」と、同裏四行目から五行目にかけ「極めて不十分なものというほかなく」を「必ずしも十分なものとはいえず」と各改め、同四一枚目裏九行目〈編注、同一六一頁二段二六、二七行目〉「できない」の次に、以下のとおり加える。「もつとも、この点につき、控訴人は、気笛吹鳴は、旅客に対する列車接近の合図として、あるいは、注意喚起の手段としてとられて来たもので、これは控訴会社を含む在阪私鉄五社のみならず、我が国首都圏の私鉄でも同様であり、運転士につき右吹鳴を義務づけこれを作業規定としているところ(地方鉄道運転規則二一四条、二一五条)、本件において、大内田運転士はこの義務を尽しているものであり、気笛吹鳴はマイク放送と同一の意味をもち、かつ、効果的な反応をうながす刺激であつて、その音量も警告として適切で、危険回避行動をとる十分な余裕をもつて吹鳴されているとし、危険予知に関し旅客の安全を確保することに欠けたところはないとするけれども、列車の通過に際し警笛を吹鳴することで、同列車が通過するホーム上の旅客に対する警告としてその安全が確保されているとみるべきか否かは、通過列車の速度、列車が通過する運転間隔の大小、プラットホームの状況、旅客の乗降数、その他警告設備の存否等により、各駅及び時間帯に応じて変動し、その制約を考慮して決せられるというべきところ、〈証拠〉によれば、控訴会社において乗客数あるいは通過列車が多い主要駅においては、放送のほか従業員を配置する措置をとり、本件青木駅では放送設備を欠くが時間帯により従業員を配備していたことが認められ、前示のとおり、青木駅は特急電車三宮行等が高速で通過し、そのホームは同時に普通電車が停車する島ホームであつて、本件事故発生の時間帯が夕刻に向け客数が漸次増加することが考えられるなどの状況を考慮すると、当時立送設備もなく、白線がホーム端から五〇センチメートルの位置にひかれているにとどまる場合にあつては、これらの状況に従い、右の時間帯においても、駅員の配備については若干なりともこれを強化することが期待できたというべく、したがつて、気笛吹鳴が注意喚起等の手段とされ、運転士においてその規定に基づく気笛吹鳴を行つたことをもつて、車輛の通行による安全を確保すべき具体的義務が履践されたとみることもできない。」

4  原判決四二枚目表一行目「運転業務を」の次に「十分」を加え、同四三枚目表一〇行目の次に行をかえ、「なお、被控訴人らは、収入の基礎については弁論終結時における最近の賃金センサスの各年齢ごとの平均賃金をもつて算定基準とし、生活費の控除についても、満三〇歳以降は三〇パーセントに限られるべきであるとするが、幼児の逸失利益の算定においては、その不確定な要素を考慮して控え目な認定をすることも妥当というべきであるから、事故後約五年後の賃金センサス一八、一九歳の男子労働者の平均賃金を基礎とし、また、生活費を七歳まで一率五〇パーセントとすることを必ずしも不合理とみることもできない。」を加え、同裏五行目の次に行をかえ、「なお、被控訴人らは、慰藉料の算定につき、一般交通事故と事案を異にするとし、控訴人において責任を否認し、一片の誠意も示さない事情を考慮すべき旨述べるけれども、慰藉料の算定は、事件にあらわれた諸多の事情を参酌した裁判所の裁量に委ねられるものであつて、一般交通事故の場合とその額を異別に認定する根拠はないのみならず、本件に即してみたとき、鉄道における通過列車による事故の原因として、接触衝突なのかあるいは風圧による転倒なのかの問題をめぐり強く争われた経過があり、かかる責任の存否、程度に関する反対の事実主張をもつて抗争することが、直ちに慰藉料の高額認定をもたらす事情とすることもできないから、これを採用することができない。」を加える。

5  原判決四六枚目表七行目の次に行をかえ、「なお、被控訴人らは、過失相殺の割合についても、他の鉄道事故例に比し被害者に酷であるとしているけれども、鉄道事故の個性を無視してこのような比較をする実益はなく、むしろ、本件における鉄道運輸の公共的側面、控訴会社における通過列車の警告に関する不十分が問責されるとはいえ、被害者の祖父亡千代治が亡理究の手を握るという僅かな注意により事故を回避できたとみられる状況によれば、その過失割合を被害者側につき四分の三と認めることに何らの不当はないというべきである。」を加える。

二してみると、原判決は相当であつて、本件控訴及び附帯控訴は理由がないからいずれも棄却することとし、控訴及び附帯控訴費用の各負担につき、民訴法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(大野千里 田坂友男 稲垣喬)

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